
| 宗派 | ご本尊 | 宗祖 | 総本山 |
|---|---|---|---|
| 浄土宗 | 阿弥陀如来 | 法然上人 | 知恩院 |
| 真言宗 | 大日如来 | 弘法大師空海上人 | 高野山金剛峰寺 |
| 浄土真宗本願寺派 | 阿弥陀如来 | 見真大師親鸞聖人 | 龍谷山西本願寺 |
| 浄土真宗大谷派 | 阿弥陀如来 | 見真大師親鸞聖人 | 真宗本廟(東本願寺) |
| 曹洞宗 | 南無釈迦牟尼仏 | 瑩山禅師・道元禅師 | 永平寺・総持寺 |
| 臨済宗 | 釈迦牟尼仏 | 明庵栄西・白隠慧鶴 | ― |
| 日蓮宗 | 大曼荼羅 | 日蓮大上人 | 身延山久遠寺 |
| 天台宗 | 釈迦如来・阿弥陀如来 | 伝教大師最澄 | 比叡山延暦寺 |

| 宗祖 | 教え |
![]() 法然上人 |
阿弥陀如来が西方十万億土のかなたにつくられた、浄らかな極楽浄土に往生することを説く教えです。極楽浄土に往生し、そこで阿弥陀如来の説法を聞いて仏になるのです。
極楽浄土に往生するためには阿弥陀如来の救いを信じて「南無阿弥陀仏」と唱えることが大切だと、法然上人は教えています。阿弥陀如来の救いを信じ、南無阿弥陀仏を唱えていると、心も体も清らかになり、人生を心豊かに生きぬき、死後浄土に生まれて仏さまになることができるのです。 浄土に生まれれば、いつまでも浄土に居られるのですが、仏さまとしてこの世に帰ってきて、まだ救われない人々を救うこともできるというのが、浄土宗の教えです。 |
| ご本尊 | 歴史 |
![]() 阿弥陀如来 |
浄土宗の宗祖法然は、長承2年(1133年)美作国に生まれました。幼くして父を失った法然は遺言にしたがって仏の道を志します。叔父の観覚のもとで仏教を学んだ後、比叡山東塔西谷功徳院の皇円のもとで出家します。
しかし、当時の比叡山は僧侶達が権力闘争に明け暮れる状況にありました。そこで法然は、比叡山のなかでも真摯に仏道を求める僧侶が集う西塔の黒谷別所で慈眼房叡空に入門します。それから25年間、救いの道を求めて苦悶しながら、ひたすら仏道を追い求めます。 そしてついに43歳の時、善導大師の「一心に阿弥陀仏の名をたたえて念仏を唱えれば極楽往生できる」という教えに触れ、浄土宗を開宗します。この「念仏を唱えれば救われる」という教えはまたたく間に広まりました。しかし、既成宗派から「伝統的な仏教を否定するもの」として弾圧を受け、讃岐に流罪になります。後に許されて京都へ戻り、現在の知恩院の地で80幸の生涯を閉じます。法然の死後、弟子たちによって浄土宗はさらに広まってゆきました。 |
| お唱えする言葉 | 「南無阿弥陀仏」なつむあみだぶつ |
| 主に読まれる経典 | 阿弥陀経 観無量寿経 無量寿経 |
| 総本山 | 華頂山知恩教院大谷寺(京都市) |
| 本山 | 増上寺(東京都) 知恩寺(京都市) 清浄華院(京都市) 金戒光明寺(鎌倉市) 善光寺大本願(長野市) |
| 宗祖 | 教え |
![]() 弘法大師空海上人 |
真言宗は真言密教とも言い、「即身成仏」を教えの根幹にしています。 これは密教の修行の実践により、誰でもただちに仏になることができるという教えです。密教の修行とは、身体の修行である身密、言葉の修行である口密、心の修行である意密で、あわせて身口意の三密修行と呼ばれています。 |
| ご本尊 | 歴史 |
![]() 大日如来 |
7世紀中頃のインドで、当時衰退の傾向にあった仏教の復興運動がおきました。この運動によって密教が盛んになり、西インドで「大日経」が、南インドで「金剛経」が成立します。「大日経」は善無畏三蔵によって陸路で、「金剛経」は金剛智三蔵によって海路で中国に伝えられました。中国に伝わった密教は、始めこの2派に分かれていましたが、空海の師匠である恵果和尚によって統一されます。 弘法太子空海は宝亀5年(774年)讃岐国に生まれ、15歳で都にのぼり、仏教をはじめさまざまな学問を学び、各地の山野で修行しました。そして密教の実践を学ぶため中国へ留学、恵果に入門します。 恵果は空海に会うなり「私はあなたが来るのを待っていました。すぐに密教の奥義を伝えましょう。」といったそうです。 つまり恵果は1000人を超える弟子の中から正統な密教の継承者として空海を選んだのです。空海は帰国後、全国行脚を経て真言宗を開きます。 真言宗は興教大師覚鑁が高野山座主の時に古義と新義に分かれ、その後さらに分化し多くの派が生まれてゆきます。 |
| お唱えする言葉 | 高野山真言宗 南無大師遍照金剛 なむだいしへんじょうこんごう 醍醐派 南無大師遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩 なむだいしへんじょうこんごう、なむしょうぼうそんし、なむしんぺんだいぼさつ 御室派 南無大師遍照金剛、南無禅定法皇 なむだいしへんじょうこんごう、なむぜんじょうほうおう 智山派 南無大師遍照金剛、南無開山興教大師 なむだいしへんじょうこんごう、なむかいざんこうぎょうだいし 豊山派 南無大師遍照金剛、南無興教大師、南無専誉僧正 なむだいしへんじょうこんごう、なむこうぎょうだいし、なむせんよそうじょう |
| 主に読まれる経典 | 大日経 金剛頂経 蘇悉地羯羅経 瑜祇経 要略念珠経 般若理趣経 |
| 本山 |
高野山真言宗 醍醐派 東寺真言宗 泉桶寺派 御室派 大覚寺派 善通寺派 智山派 豊山派 真言三宝宗 |

| 宗祖 | 教え |
![]() 見真大師親鸞上人 |
仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要である、とされてきました。しかし、今の私達にとって、それを毎日続けてゆくのは非常に難しいことなのではないでしょうか。
そこで、阿弥陀如来は私たちのような者を救おうと誓い、浄土を建立した浄土に生まれる道を説くのが真宗の教えなのです。阿弥陀如来は私たちのような者こそを、救いの対象にしているのだと説いているのです。 また、真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としています。ですから、阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものなのです。 自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心とともに唱える「他力念仏」が真宗の念仏なのです。 |
| ご本尊 | 歴史 |
![]() 阿弥陀如来 |
承安3年(1173年)、親鸞は京都に生まれ9歳で得度しました。その後20年間に亘り比叡山で修行をつづけますが、やがて比叡山の仏教に絶望し浄土宗の宗祖法然を訪ねます。そこで法然の専修念仏の教えに感銘し入門します。
しかし、念仏禁止令が発布され、越後に流罪。流罪先で結婚した親鸞は非僧非俗(ひそうひぞく)の境地をひらき自らを「愚禿親鸞(ぐとくしんらん)」と名乗ります。流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始めます。そして元仁元年(1224年)浄土真宗の根本聖典になる「教行心証」を執筆、この年が立教開宗の年とされています。 晩年は家族とともに京都へ帰り、90歳で往生するまで、盛んに執筆活動を行い、同時に関東の弟子たちへ手紙で指導を続けました。 親鸞の死後、教団は次第に衰微してゆきますが、第八世蓮如によって再興をはたします。そして、巨大教団へと発展したため、他宗派や大名からの弾圧がはじまります。織田信長の本願寺攻略をはじめとして、時の権力者に翻弄され西本願寺と東本願寺にわかれますが、宗勢は衰えることなく、現在に至ります。 |
| お唱えする言葉 | 「南無阿弥陀仏」なむあみだぶつ |
| 主に読まれる経典 | 教行信証 正信念仏渇 阿弥陀経 観無量寿経 無量寿経 |
| 総本山 | 龍谷山西本願寺(京都市) |

| 宗祖 | 教え |
![]() 見真大師親鸞聖人 |
仏さまになるには、修行によって煩悩を断ち切り、善根を積むことが必要である、とされてきました。しかし、今の私達にとって、それを毎日続けてゆくのは非常に難しいことなのではないでしょうか。
そこで、阿弥陀如来は私たちのような者を救おうと誓い、浄土を建立した浄土に生まれる道を説くのが真宗の教えなのです。阿弥陀如来は私たちのような者こそを、救いの対象にしているのだと説いているのです。 また、真宗では、「阿弥陀如来に帰依すると決めた時点で、誰でも仏になることが約束される」としています。ですから、阿弥陀如来に帰依した後の念仏は仏になるために唱えるのではなく、仏になれた感謝の表現として唱えるものなのです。 自分の修行などによって極楽浄土へ往生しようとする「自力念仏」ではなく、阿弥陀如来を信じ感謝の心とともに唱える「他力念仏」が真宗の念仏なのです。 |
| ご本尊 | 歴史 |
![]() 阿弥陀如来 |
承安3年(1173年)、親鸞は京都に生まれ9歳で得度しました。その後20年間に亘り比叡山で修行をつづけますが、やがて比叡山の仏教に絶望し浄土宗の宗祖法然を訪ねます。そこで法然の専修念仏の教えに感銘し入門します。
しかし、念仏禁止令が発布され、越後に流罪。流罪先で結婚した親鸞は非僧非俗(ひそうひぞく)の境地をひらき自らを「愚禿親鸞(ぐとくしんらん)」と名乗ります。流罪が許された後、妻子を伴って関東で布教を始めます。そして元仁元年(1224年)浄土真宗の根本聖典になる「教行心証」を執筆、この年が立教開宗の年とされています。 晩年は家族とともに京都へ帰り、90歳で往生するまで、盛んに執筆活動を行い、同時に関東の弟子たちへ手紙で指導を続けました。 親鸞の死後、教団は次第に衰微してゆきますが、第八世蓮如によって再興をはたします。そして、巨大教団へと発展したため、他宗派や大名からの弾圧がはじまります。織田信長の本願寺攻略をはじめとして、時の権力者に翻弄され西本願寺と東本願寺にわかれますが、宗勢は衰えることなく、現在に至ります。 |
| お唱えする言葉 | 「南無阿弥陀仏」なむあみだぶつ |
| 主に読まれる経典 | 教行信証 正信念仏渇 阿弥陀経 観無量寿経 無量寿経 |
| 総本山 | 東本願寺(京都市) |

| 宗祖 | 教え |
![]() 太祖・高祖 |
曹洞宗の修行の基本は坐禅です。 修行は坐禅だけには限りませんが、ただひたすらに坐禅を行うこと(只管打坐)を最も重要に考えます。 そして、坐禅の心とすがたで、日常生活を生きてゆく(即心是仏)ことを説きます。 坐禅の力は、必ず個人生活・社会生活に現れてきます。 |
| ご本尊 | 歴史 |
| 南無釈迦牟尼仏 | 8世紀初め頃の中国の禅僧である洞山良价の「洞」と、その弟子である曹山本寂の「曹」をとって「曹洞」としたのが、曹洞宗の名の由来だと言われています。
わが国に曹洞宗を開いた道元は、正治2年(1200)内大臣久我通親の子として京に生まれました。幼くして両親を失った道元は、13歳の時に比叡山に上り、天台教学を学びます。しかし、天台宗に疑問を抱き、18歳で建仁寺に栄西を訪ねます。そして、貞応2年(1223)に中国に渡り、如浄を師として曹洞禅を学びました。 良心脱落の境地を得て帰国した道元は、宇治に興聖寺を開きます。その後、越前に移り永平寺を建て、自らの理想とする正伝の仏法の提唱と弟子の養成につとめました。 道元から四代目にあたる瑩山は、多くの優れた弟子を養成しながら大衆教化にもつとめ、現在、日本最大の寺院数を誇る曹洞宗の素地をつくりました。曹洞宗では道元を宗派の父、瑩山を母にたとえ、両祖と仰いでいます。 |
| お唱えする言葉 | 「南無釈迦牟尼仏」なむしゃかむにぶつ |
| 主に読まれる経典 | 正法眼蔵 修証義 般若心経 観音経 法華経 大悲心陀羅尼 普観座禅義 座禅用心記 伝光録 |
| 大本山 | 永平寺(福井県) 総持寺(横浜市) |

| 宗祖 | 教え | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 臨済義玄 |
臨済宗の教えは、人間が生まれながらに、だれもがそなえている厳粛で純粋な人間性をみずから悟ることによって、仏と寸分も違わぬ人間の尊さを把握するところにあります。もちろん禅宗ですから、坐禅を最も重視します。臨済宗の禅は、「看話禅」と呼ばれ、師匠が「公案」という問題を出します。弟子はこれを頭だけで論理的に考えるのではなく、身体全体で、理論を越えたところに答えを見いだします。そして、この結果を検証するのが参禅です。師匠と二人きりで対面した弟子が、見解を提示し、これを師匠が確かめるのです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ご本尊 | 歴史 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 釈迦牟尼仏 |
弟子が師匠から法を受け継ぐことを、特に禅宗では重視します。それは、仏教開祖のお釈迦さまの悟りを引き継いでいる、ということを大切にするからなのです。禅宗はお釈迦さまから二十八代目にあたる菩提達磨によって中国へ伝えられました。そして、達磨から六代目の六祖慧能、さらに慧能から五代目の臨済義玄に法が引き継がれ、中国に臨済宗が開かれました。日本に臨済宗をもたらした明庵栄西や、円爾弁円は中国へ渡ってこの教えの流れを引き継いだのです。さらに、中国から帰化した蘭渓道隆や無学祖元なども日本へ臨済宗を伝えました。
室町時代には武家の帰依を受けた夢窓疎石らによって臨済宗は発展を遂げ、建築や水墨画、文学などの禅文化が花開きます。また、大応国師、大燈国師、関山慧玄によって「応燈関の法灯」と呼ばれる系譜も形成されます。そして、江戸時代中期に白隠慧鶴によって現在に直接つながる臨済宗の教義が完成したのです。 |
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| お唱えする言葉 | 「南無釈迦牟尼仏」なむしゃかむにぶつ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 主に読まれる経典 | 般若心経 大悲呪 観音経 白隠禅師座禅和讃 宗門安心章 |
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| 本山 |
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| 宗祖 | 教え |
![]() 日蓮大上人 |
主だった日本仏教各宗派の中で、日本人宗祖の名前を冠して宗派名にしているのは日蓮宗だけです。それだけ、宗祖日蓮聖人の存在意義が教義に大きく反映しているのでしょう。
日蓮宗ではお釈迦さまの説かれた教えの中でも『法華経』こそが、世の中を救う絶対最高の教えであるとします。その法華経を説かれた、実際に歴史上に存在されたお釈迦さまは「久遠実成の本仏」が自身を表した姿です。久遠実成の本仏とは、永遠の昔に悟りを開いた仏さまという意味で、法華経も、本仏が経典として、実態を示したものなのです。 法華経を日本に広宣流布した日蓮聖人の教説を通して法華経を理解し、実践してゆくのが日蓮宗です。法華経は本仏の声そのものであり、法華経の功徳すべてが「南無妙法蓮華経」の七文字にこめられていると日蓮聖人は考えました。そこで、「法華経の内容をすべて信じ帰依する」という意味の「南無妙法蓮華経」を唱えることを、何よりも重要な修行としています。 |
| ご本尊 | 歴史 |
![]() 大曼荼羅 |
日蓮は貞応元年(1222)安房国(千葉県)に生まれ、12歳で天台宗清澄寺に入り、16歳で得度します。21歳の時に比叡山へ上ると膨大な書物を読破しながら、教えを求めて園城寺、高野山などへも訪れます。こうした修行研鑽を11年間続け、ついに、「お釈迦さまの最高の教えである『法華経』こそが、救いのよりどころとなる唯一の経典である」という確信を得ました。
清澄寺に戻った日蓮は、建長5年(1253)清澄山頂に登って「南無妙法蓮華経」の題目を高唱し、立教を宣言します。その後、「法華経を広めようとする行者は難にあり」という法華経自体に書かれている予言通り、「松葉谷の法難」「小松原の方難」など数々の難に遭い、死の危険にさらされることになります。 「社会に天災や疫病などが続くのは邪法・悪法がはびこっているからだ。法華経信仰によって国土の安穏をはからなければならない」と説いた『立正安国論』を執権北条時頼に提出すると、その内容を幕府に危険視され伊豆に流罪(伊豆の法難)。さらに「龍の口の法難」では斬殺寸前となりますが稲妻によって奇跡的に逃れ、佐渡に流罪となります。 文永11年(1274)ようやくゆるされた日蓮は身延山に入り、61歳で生涯を閉じるまで著作と後進の育成につとめたのです。 |
| お唱えする言葉 | 「南無妙法蓮華経」なむみょうほうれんげきょう |
| 主に読まれる経典 | 妙法蓮華経(法華経) |
| 総本山 | 身延山久遠寺(山梨県) |
| 宗祖 | 教え |
![]() 伝教大師最澄 ![]() 天台大師智 |
「妙法蓮華経(法華経)」こそ、仏陀の教えの究極を説いたものとします。
この法華経を中心に、菩薩戒・顕教・密教・禅法などを融合した総合仏教といえます。これを「四宗相承(ししゅうそうじょう)と言い、円・密・禅・戒、そして念仏を法華経の精神で統合していこうというものです。 そして、すべての人、生物、存在には仏になる可能性があると教えられています。天台宗宗憲には「天台宗は宗祖大師立教開示の本義に基づいて、円教、密教、禅法、戒法、念仏等いずれも法華一乗の教意をもって融合しこれを実践する」とあります。 |
| ご本尊 | 歴史 |
| 久遠実成無作の本仏 釈迦如来 阿弥陀如来 観世音菩薩 など |
天台宗の名のルーツは中国の浙江省天台県にある天台山にあります。 中国隋代に天台宗を開いた天台大師智は、天台山を修行の地に定め根本道場を開いたため、天台大師と呼ぶようになりました。 わが国に天台宗を開いた伝教大師最澄も、中国に留学中に天台山で修行しています。 最澄は天平神護2年(776年)近江国に生まれました。長じて、当時のさまざまな仏教を学び修行した最澄はやがて天台大師の教えに出会い、なんとしても中国に渡り天台宗の極意を学ばなければならないと決意、留学を果たします。 そして、中国で研鑚を重ねた後、多くの仏教典籍とともに帰国し、日本に天台宗を開くのです。開宗は、延暦25年(806年)1月26日とされています。 |
| お唱えする言葉 | 「南無阿弥陀仏」なむあみだぶつ |
| よく読まれる経典 | 法華経 大日経 金剛経 蘇悉地経 梵網菩薩戒経 仁王般若経 阿弥陀経 観無量寿経 無量寿経 |
| 総本山 | 比叡山延暦寺(滋賀県) |
※資料提供:鎌倉新書 2分でわかる仏事の知識
| −購入前− | −購入後− | ||
| お仏壇とはその由来について | 購入後まずすること | ||
| お仏壇はなぜ必要なのか? | お仏壇の仏具の祀り方 | ||
| お仏壇の購入時期 | 普段のお手入れの仕方 | ||
| 値段と品質 | ぬれ雑巾でお仏壇を磨く? | ||
| 材質のあれこれ | |||
| 安置場所について | |||
| お店の選び方 | |||
| −購入前− | ||
お仏壇とは?その由来について |
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多くの日本人にとってお仏壇は、お位牌と共にご先祖様や亡くなった親族をお祀りし、対話をするためのものでしょう。 ですが、「仏壇」の本来の意味は、文字通り、仏像や仏具を飾り、仏様を祀る台のことです。家庭のお仏壇は、寺院にあるお仏壇(内陣)を小型にして、厨子と一体化して箱型にしたものです。ですから、お仏壇は家の中のお寺のような存在です。 |
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お仏壇はなぜ必要なのか? |
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日本人にとっては信仰の対象として仏を祀ってその加護を願い、また仏を通して祖先や故人を想い、感謝するという二重の意味と価値を持っているであろう。 私たちがこうして毎日健康に過ごせるのも、決して自分だけの力ではなく、大地や自然、宇宙からの恵み。そして過去、現在の無数の有縁無縁の人々のおかげだと思います。私たちの命の源であるご先祖様に心から感謝できる場それがお仏壇なのです。 お仏壇の前に正座して毎日手を合わせていると、自然と心が和み、癒されるのはそのせいだからですね。 古いお家なら昔から代々受け継がれてきたものがありますが、若い家族にはお仏壇のないお家も少なくありません。結婚前は実家のお仏壇に手を合わせていた人も新しい家庭ではお仏壇がないために手を合わせる習慣がなくなった、というケースも多いのではないでしょうか? お仏壇は、身近であった亡き人と向かい合わせてくれるものといえます。お仏壇は、心安らかに手を合わせる時間を持ち、次の世代に伝えていく…。そのための心のよりどころとして大切なものです。 |
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お仏壇の購入時期 |
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値段と品質 |
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お仏壇は一見同じように見える仏壇でも、値段がずい分と違うことがあります。 それは品質の違い(材質、手法、産地)により値段が変わってきます。 値段に応じて耐久性も違ってきます。詳しくは店の人に尋ねる必要がありますが、基本的な知識を知っておくと役に立つでしょう。 |
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材質のあれこれ |
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お仏壇の種類により使われる材質が異なります。 金仏壇は主に杉、檜、松などを素地とし、これに漆塗りが施され、内部には金箔が張られます。 唐木仏壇は主に高級品は黒檀、紫檀など堅い材質で作られています。他に桜、欅(けやき)、花梨(かりん)、桑、柿、鉄刀木なども使われます。木本来の持つ木目を生かしたつくりが特徴です。 数年前から人気の家具調仏壇の材質はウォールナットやオーク・メープル・ナラなど高級リビング家具などに使われる、比較的色目の明るい海外の銘木が使用されております。 |
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安置場所について |
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家族みんなが手を合わせやすいところを選びます。 仏壇をどこに安置すればよいのか、またどちらに向けるべきなのかということについては、特に決まりはありません。あえて言うならば、家族にとって身近な部屋で、家族のみんなが手を合わせやすいところに置くべきでしょう。そして、仏壇の材質からいって、直射日光が当るところや湿気の多い場所は避けるべきです。しかし、一方には仏壇の場所や方向によっては、家庭内に不和が生じるといった見方もあります。 |
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お店の選び方 |
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お仏壇は菩提寺のアドバイスを受けるのもひとつの方法ですが、今では各家庭それぞれの環境にあったお仏壇を選べますので、一軒のお店で選ばずに少なくとも2〜3軒のお店をまわるといいでしょう。 お店によっていろいろな特徴があります。多数の仏壇を展示してある大きなお店、小さくて真心込めたサービスをしてくれるお店、いろいろあります。 お仏壇は一生に何度も買うものではないものですし、我が心のよりどころとなり日々の生活への加護を祈る大切な品でもありますので、アフターサービスがしっかりしていて安心し納得して購入できるお店がよいと思います。 |
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| −購入後− | ||
| 購入後まずすること | ||
新しくお仏壇を購入したら菩提寺の僧侶を招いて行う儀式「開眼供養」をしてもらいましょう。 この儀式が済んで、初めてつくられたものが正式な礼拝物とされます。 「開眼」を別名「魂入れ」ともいい、例えば一般の工作物にも落成式があるように、それ相応の儀式を行い、心のけじめをつける必要があります。 |
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| お仏壇の仏具の祀り方 | ||
宗派によって多少祀り方に違いがありますので、わからないときには仏壇を購入する折や菩提寺に相談されるとよいでしょう。 |
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| 普段のお手入れの仕方 | ||
お仏壇は湿気と直射日光を避けることが大切です。特に梅雨期などはお天気の日に部屋の窓を開け風通しをよくして下さい。お掃除の際は、毛ばたき、柔らかい筆などでホコリを払う程度にし、金箔部分や金具には手を触れないように気をつけてください。金箔は強くこすると剥げる原因になり、金具は濡れた手でさわると錆びる原因になります。 お仏壇の中は細かい仏具などあり掃除するのが大変難しいものです。 そんなお掃除をお仏壇のクマダでは3,000円(名古屋市内出張費、税込み)で行っております。 詳しくはお仏壇お掃除へ |
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| ぬれ雑巾で磨く? | ||
仏壇をぬれた雑巾で拭くのはよくありません。金仏壇はなおさらのこと、唐木仏壇であってもいけません。仏壇にとって水気は大敵だからです。漆塗りの部分や金箔のところは特に水気を嫌いますので、ぬれ雑巾の方が簡単だからといって、繰り返してしまうと仏壇の寿命が極端に短くなってしまいます。乾いたやわらかい布などで汚れを取り、細かい部分は毛バタキなどを用いて、手垢などがつかないよう大切に扱うことが大切です。 |
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